(数年前に書いて下書き保存していた記事です)
そういえば、小学生の頃から私は「先生ごっこ」が好きだった。
向かいの家に住んでいた年下の女の子を家に招き、
黒板や自作の練習プリントであれこれ教えては
迎えに来た彼女のお母さんに、その子の学習進捗状況を報告したりしていた。
人間っておもしろいよね。
もうあれから30年ほど経つのに
私は自宅で英語教室を開き、あの頃と同じようなことをしている。
一人前の大人として
欠けている所を数え上げたらキリがないけど、
子どもたちと関わることは大好きだし
適性もあるのだと思う。
子どもたちを観ていると、
それぞれが豊かな個性を持っていて
色とりどりのお花畑を眺めているような気分になる。
なにがいいとか悪いとかではなく、
「その子の良さを発揮できる環境に身を置けるかどうか」が
幸せな人生を歩めるかどうかのキーポイントのような気がする。
我が家には三人の男の子がいるが、
見事にそれぞれ異なるタイプ。
もし仮に男の子の一人っ子だったとしたら…
私は自分の理想とする「男の子像」を
その子に強く求めてしまっていたのではないかと想像したりする。
親の思い描く「型」に当てはめようとして育てられた子どもは、
いつの間にか本来の自分の姿を見失い、そのまま大人になってしまう。
なかなか「ありのままの その子の姿」を認め、尊重するのは難しい。
もちろん、なんらかの軌道修正や矯正のようなものがあったほうがよい場合もあるだろうし、一概には言えないが、「これが自分」というものを持っている人、それが何かを知っている人は強いような気がする。
外遊びが好きな子、家で一人でじっくり何かに取り組むのが好きな子、
動き回るのが好きな子、じっとしているのが好きな子、
それを特性として認め、それを伸ばす方法や方向性の選択肢を考えてやるのが
親としてできることなのかなと考えたりする